2008.08.10(Sun)
「誰でも良かった」で殺されたくない!
これがブログネタのテーマ?
…もうちょっと「聞き方」ってあるでしょ(汗)
誰だって「通り魔事件」の被害者にはなりたくはない。
アンケートをとって確認したわけじゃないけど。
理由があれば人を殺していいわけではないが、恨みや憎しみで相手を殺すというのは古今東西あることだ。
殺人まではいかなくとも、「あいつさえ存在しなければ」と思って生きている人は世の中に多い。
…ただ、秋葉原無差別殺傷事件をはじめとする昨今の殺人事件が【異常】だと誰もが感じるのは、普通に叱った家族や何の関わりもない人たちが殺されてしまっているからだ。
そして、こういった【異常】な殺人者は日本の法律で“保護”(!?)されている。精神鑑定とやらで「責任能力」とやらを問うからだ。日本の法律では、恨みや憎しみによる殺人者しか裁けないようになっている。
しかも、【異常】であったり【未成年】であれば死刑にはならないことを子どもだって知っているのが現代日本社会だ。その上、こういう事件が起きるとマスコミが喜んでTVで盛んに報道し、その殺人者の背景や生い立ちを世間に発表し、たいていは「社会が悪い」的な結論で番組を締めくくる…。
「殺人」というのは“社会的自殺”だ。
たとえ死刑にならなくとも、一度それを犯せば一生その事実が殺人者に付きまとう。まっとうな人生を二度とおくることができなくなる。
だから、昨今の【異常】な殺人を犯す者の心理は、「自殺」をする者となんら変わりはないと思うよ。
しかも、「殺人」のほうが「自殺」よりも社会的メッセージが強い。マスコミの皆さんが、よりショッキングに報道してくださり、【無名】だった彼らの名前を人々の記憶に刻み込む手助けをしてくださる。そのおかげで「同情」する者まで出てくる。
「自殺」をする者の「自殺」をする狙いは、まさにソコだ。「同情」を得たいからだ。「遺書」や、何らかの動機を記した記述を残すのは、彼らが社会に認められたがっているからだ。「失踪」との違いはソコだ。「自殺」は世を捨てることではなく、むしろ世に存在をアピールする行為だと言える。
そういう意味でも、昨今の【異常】な殺人は犯人にとって「自殺」と同じなのだ。
殺人者も含めた「自殺」をした者の家族を、迫害すべきではない。
しかし、その【異常】な殺人者を社会的に保護すべきではないし、擁護してはいけないんじゃないかな。【異常】であれば、あるほいどね。
「責任能力」とやらが無いのなら、むしろ積極的に重刑を課し、迫害すべきだと思うよ。二度とそんな人間が生まれないように。
―悪とは人ではなく「行為」を指す言葉だ―
だから、間違っても「殺人」を肯定してはいけない。
たとえどんな理由があろうとも。
(「殺人」を犯した者は、その時点で「カワイソウ」ではない!)







