2008.07.07(Mon)
時は高度経済成長後の日本。
物心がついた頃には、家にカラーテレビがあった。
幾棟も連なる社宅には、同年代の子どもがいっぱい住んでいた。
…そこは“子どもの世界”だった。
とにかく、その地域には“子ども”がたくさんいた。
“同じ歳”の友だちだけで、
社宅の棟別に“草野球チーム”を作ることができたくらいだ。
(社宅はA棟からN棟まであった。私はL棟だった)
だから、年上とも年下とも遊ぶ必要はなかった。
一緒に遊ぶ仲間は、全員横並びの“同じ歳”の友だちだった。
社宅の前には広い芝生に遊具を備えた公園。
社宅の各棟をつなぐ回廊の脇には、
広大な広場に雑木林。
社宅組の“テリトリー”は、そこまでだった。
私たちは“テリトリー”を出なくとも、
日が暮れるまで充分に遊ぶことができた。
だから、私たち社宅組にとって、
“テリトリー”の外は「異世界」だった。
日常的な買い物は近所の商店街でできたが、
そこは“小学校区”が違ったので、
私たち社宅組の“子ども”は「よそ者」として、
そこに足を踏み入れなければならなかった。
パン屋でよく駄菓子を買ったり、
メンコや凧や銀玉鉄砲を買ったが、
その地域の“子ども”とは口も利かなかったな。
買い物を済ませれば、
長居をすることもなく“テリトリー”に帰っていた。
小学校は“子ども”の足で歩いて、
30分かかるところにあった。
道中は、ず〜っと“田んぼ”だった。
だから、“通学”そのものが“遊び”だったよ。
蛙や虫やザリガニを捕まえ、木の実を採り、
ススキの穂を振り回して通った道だった。

(今はもう無いので、これはイメージ画像)
そんな環境だったので、
クラスで最も多かったのは“農家の子”だった。
私たち“社宅組”は「第二勢力」だったよ。
日頃の“遊び”が全然違う二大勢力だったんだ。
“社宅組”は誕生日とクリスマスが来るごとに
「新しいオモチャ」を親に買ってもらっていたので、
オモチャで遊ぶことが多かったんだ。
…でも、“農家の子”たちは「面白いこと」を
いっぱい知っていた。
一緒に遊んでいて面白かったのは、
私にとっては“農家の子”たちだった。
“ハックルベリー・フィン”に憧れる
“トム・ソーヤー”な感覚かな(笑)
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